差異分析と責任会計①

今日は、2月25日の日記にいただいたコメントへの返信です。



まず、結論からいうと、予定・標準・実際の順はどちらでもかまいませんし、他にも例えば、数値の順に左から右に並べてもOKです。私が思うsakurakoさんが混乱されている一番の理由は「図の配置を覚える」→「中身の理解」の順に頭の中の思考が流れていらっしゃるのではないか、ということです。基本的には「図」は何らかの「意味や数値」をわかりやすく表現したもの、であって、「図がこうなっているからこうだ」という手順をとると、理解が飛んでしまうんですね。図から覚えこんでしまうのも時にはアリですが、この問題は難しくないので理解してしまったほうがいいと思います。


まず「差異分析」の目的をもう少し明確化されたほうがよいように感じます。差異を2つに分析した後、その2つに分析した差異を「どのように使うのか?」が想像できていらっしゃるでしょうか?管理会計は大きく分けると財務諸表に組み込む数値を計算するための「原価計算」とそれ以外の「いわゆる管理会計」に分かれますが、差異分析は基本的に後者に分類されるため、企業にとってその作業は「財務諸表的必要性」はありません。標準原価計算を採用している際には「総差異」は製造原価に組み込むために計算する必要はありますけどね。


ということは、「差異分析」の目的は「経営効率化」に役立たせることです。ですから、重要なのは「責任会計」の発想であり、もっと具体的には、「管理可能or不可能?」、「誰の責任か?」といった点に意識をおいて考えることが大切です。以上の点を踏まえて、以下具体的に説明します。

1.数量差異と価格差異

まずは簡単なところから。製造過程で発生する数量差異と価格差異ですが、これはどのように分類するのが正しいでしょうか。縦軸、横軸に価格、数量の予定と実際をそれぞれ入れて、価格、数量共に予定より実際が大きかった場合、右上にできる小さな四角形の部分を、価格差異に分類しますが、それはいったい何故でしょうか?


基本的に差異分析の発想は「従業員の能率管理と成績評価」です。あくまで、役職が下の人間をどうやって管理し、生産性を高めるか?が主目的なので、「従業員に管理可能=従業員の責任に帰すべき部分」を明確にすることが大切です。この場合、当然「価格の変化」は「外部市場要因」なので工場で働く従業員にはどうしようもありません。ですから、価格の変化の影響が存する部分の差異を従業員評価に利用することは適当ではなく、「工場能率の問題である差異」を出すには価格変化の要因を排除した「予定価格×差異数量」という計算になるわけです。そういう目的をもって計算している差異を「数量差異」と呼んでいるだけで、「数量差異」ということばが法や基準で定められているのではありません。その差異の分だけ従業員をしばいたり、ほめたりするのが合理的であるだろう、と考えられているだけです。ちなみに、それ以外の価格変化がかかわる差異は、もっと上の意思決定をできる人間の責任です。「価格差異」の部分は、例えば経営会議等で


・この製品製造から撤退するか?
・材料のグレードを変えた商品企画をするか?


等の議論の題材になるでしょう。例えば、責任者の部長が「社長ー、この製品の部品の材料原価が高騰してそのせいで今期トントンでした。来期はさらに材料価格あがりそうなんで、製品価格を上げないなら、この製品は撤退したほうがいいと思うんですけどー」とか主張するみたいにね。逆に言えば「数量差異」はその意思決定においては問題ではないってことです。社長に「いやー、商品としてはもうかるはずなんですけどね、従業員がサボってるから儲かりませんわー」なんていったらそれこそ「その管理はお前の仕事だろ」って返されますよね。


それから、気をつけておかないといけないのは、管理会計の方法は法や基準で縛られるものではないので、この方法が唯一絶対ではありません。例えば、販売成績に対して同じように分析をするときに、販売員が販売ツールとして一定範囲のディスカウント率を権限として持っている、といった状況では、価格差異も含めて従業員の責任ともいえますね。そうすると、どのような分析をすべきか?というとまた異なる答えが出てしまうわけです。(試験にはでませんけどね)



すいません、本題に行く前に力尽きました。続きはまた次に。sakurakoさんもちょっと「市場総需要差異」と「市場占有率差異」について、同じ発想で見てみて、まず「差異」をどのように分析すべきか?を、「販売員」を管理する上位の役職者の発想で考えてみてください。その後、「どのような図が個人的に見やすいか?」をお考えになるのがいいと思います。私はこれは数量差異・価格差異と同じ図が見やすいと思いますが、世間の参考書はあまりそうはなっていないんですねえ。

それから、混合差異と歩留まり差異はまた別の発想ですから、またの機会に。